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四季こもごも

一度きりの人生において感じたこと、学んだことを記したブログです。

大企業に就職して嬉しいのは働く前まで。フジノショウさんの記事を見て思ったこと。

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少し前のイケダハヤトさんのブログで紹介された、フジノショウさんの記事「住友不動産販売を辞めました。三年前ですが、後遺症は未だにあります。」を読ませて頂きました。

 

www.ikedahayato.com

 

 

blog.livedoor.jp

 

 

非常に心を揺さぶられたので僕も全文引用させてもらいたいと思います。

 

 

フジノショウさんの退職記事

 

こんにちは。フジノショウです。

なんとなんと、イケダハヤトさんのブログサイト、『まだ東京で消耗してるの?』で大企業を辞めた人の記事を転載するとな!
『これはめっちゃ載りたい!』
と思って、さっそくmixiに載せてた記事を漁りました。
苦悩の渦中で書いた記事があったんですよね。
これを読むと辛い気持ちになりますが、またとない機会なので、加筆して載せたいと思います。

当然、このブログは住友不動産販売を悪く言うために書いているわけではありません。数年経つと、組織や文化は変わるものなので、今の住友不動産販売は全く別の会社になっているという前提でご覧になってください。
僕が入社して感じたことや、あったことをありのまま書いています。


勝ち組と思った就活

僕はリーマンショック後の就職難をモロに影響された世代でして、大学の同級生は、就職できない人が多かったです。
そんな中で、僕は運良くFラン大学なのに、大手企業の住友不動産販売に受かることができました。
正直めっちゃ嬉しくて、自分の人生で初めて『もしかして俺勝ち組なんじゃね?』と思ったりしました。今思えば、なんて浮かれポッチなんだって感じですが(笑)

大学4年生の4月に内定を手に入れた僕は、宅建の勉強こそしていたものの、その他の時間は殆ど自分の為の時間に使っていました。
彼女を作ったりなんかして、遊んでいました。
(後に仕事がきっかけで別れちゃうんですが)


大企業の豪華絢爛さに酔いしれる

当時住友不動産販売は内定者パーティーや研修など、内定者が交流する会をよく開いてくれました。
新宿の豪華なホテルで、美味しい食事をタダで振る舞ってくれたりして、僕は大企業で働くとこんないいことがあるのか!!と酔いしれてしまいました。
そして、自分が大層な価値のある人間に思えてきました。
『こんな豪華な食事を食べることができるのだから、他の人より俺は価値のある人間なんだ!』
と思うようになったのです。
大学時代にずっと新聞配達をしていた反動もあったと思いますが、これは世間知らずの学生が大企業の罠にハマってしまう典型的な例ですね(笑)
自分の実力ではないのに、すごい人間になったような気分になるのです。

無事に入社式を終え、本社研修から現場へ配属された僕は、なんと渋谷で勤務する事になりました。
これも僕の虚栄心をくすぐりました。
渋谷で働くなんて、俺めっちゃかっこよくない!?!?
なんて思ってました。


初めての仕事は、チラシ撒き

『じゃぁ、今日からチラシのポスティングをしてこい。』
営業所に配属された僕は、ポスティングの仕事を任されました。

チラシは二種類あって、不動産を売りたい人を見つける為のチラシと、そのチラシを配ってくれる
アルバイトさんを見つけるチラシとあります。僕が配ってたのは、後者の方です。億ションにたずねて行ったりして、お金持ちと交渉したりする』仕事を想像していた僕は、『え?こんな仕事するの?』と思いました。

なんと言ったってポスティングのアルバイトなんて単価の低い仕事をするような人は、すっごい貧しい人ですから、毎日『◯◯荘』なんて書いてあるアパートめがけて出向いて行くわけです。
汚いし、怖い人が出てくるんじゃないかと不安になるし、音立てたら迷惑かな?なんて思いながらポスティングしたりなんかして、嫌な仕事でした。

当然労働時間も長いですから、日付が変わってからもポスティングすることもありました。
夜だと、管理人に追いかけられたりするとこもありました。
ろくに睡眠も取らずにポスティングなんてしてると、本当に憂鬱になります。
『チラシを燃やしてしまおうか』と思ってしまう日も、時にありました。
それでも『これは下積みだから』と自分に言い聞かせてやっていましたが、流石にそんな単調な仕事をずっとすると、『やらされてる』『労働力を搾取されてる』と言う思いを拭うことができなくなります。


いざお客さんを目の前にしても、自信のなさがにじみ出る

チラシで反響があったら、僕が客先へ出向いて行くことになります。先輩の同行つきでしたが。
ただ、普段ポスティングしかしていない人間が、営業のトーク練習など何もすることなく、いきなり不動産オーナーのところへ行くわけですから、当然何も話す事ができません。
立派な人生を送って来たであろうお客さんと、アルバイトみたいな単調な仕事しかしてない自分を比べて、僕はすっかり人間としての自信をなくしていたのです。

先輩からも『もっとお客さんと話せよ』と言われたりしましたが、話せる気がしませんでした。
毎日無言でポスティングをしているうちに、僕は人との会話を無くし、うまく話す事ができなくなってしまってたのです。
逆に黙ってポスティングをしていないと落ち着かなかったりして、会社内では朝礼の後、逃げるようにチラシを作って外回りに行ってました。

『あいつは客先で話ができない』と言う印象がつき、店舗としても交渉は営業力のある先輩任せた方が効率が良かったですから、僕が撒いたチラシの反響でも、先輩が客先へ出向いて、僕は殆ど関与しないことが常態化してゆきました。

新人には末端の仕事だけさせて、肝心の営業教育はしない。
僕も会社も、その状況を放置していたのです。

『そこで学ばないと、自分で成長の機会を逃してるじゃないか。自分にやらせてくださいと食いつけよ!』と思われるかもしれません。

僕だって本当は営業に行きたかったです。ですが、できませんでした。
なぜなら、その時僕は既に人と話す事を恐怖に感じるようになっていたからです。

一日中ポスティングをするよう指示されているのに、僕の売上がゼロであることを上司から怒鳴られること。

先輩から『お前がもっとチラシ撒かねーから売上たたねーんだよ!』と怒鳴られたり蹴られたりしたこと。

定時を超えた時間なのに、『店がこんな状況だから、今からチラシ10,000枚撒いてこい!』と重たいリュックと地図を渡されたこと。

まるで人間ではないかのような扱いに、僕はすっかり人間不信になっていました。
実際この時の恐怖は未だにこびりついてて、40−50代の脂ぎった男性会社員と話をする時は、僕は無意識に戦慄します。


苦難の中書いた日記①

当時、僕はこの時の心理を、日記に記してました。
ここは当時の日記をそのまま載せます。

最近働いていて、何か違うとよく思う。
仕事内容は相変わらず先日も日記に書いた「チラシ撒き」なんですが、ココ一週間朝の4時までやってたりしたので尚更。足が痛くてたまりません。府中から鎌倉まで歩いた時の記憶がフラッシュバックしましたよ。そろそろヤバイです肉体的に。

これが社会の常識なんだろうか?朝から翌朝までこんなに身体を酷使するのが社会に出るということだったんだろうか。思わずそう父親に聞いてしまいました。そしたら「そんなわけがない」と(笑)あぁよかった。もしそうだったら俺どこ行ってもだめですわ。とはいえ父も初めて働いた会社では朝帰りが殆どだったそうな。結局体調崩してやめたらしいのだけれども。

今やってる仕事は形になれば終わりがくるもの、いずれ楽になるとは聞かされているけれども、その先に俺は何を得るのだろう?うちの会社でバリバリできれば高収入は得られるけど、それが望んだものだったんだろうか?「お金はあるに越した事はない、稼げる会社の方がいい」と思っていたけれども、例えばいくら必要なのかと聞かれても答えられない。

仕事を覚えられる。というのもあるだろうけど、俺はこの先ずっと仲介業で生きて行くのだろうか?
東京で不動産屋開業。想像もつかないしなんかやりたくない。思いはここへ来てブレにブレています。

うまく行ってないからこう思うのか、それとも本当に「何か違う」のか。とにかく毎日が沢山の学びに満ちているはずの社会人一年目がこのままじゃダメなのはわかる。とりあえずどの部分が謙虚に受け入れるべきで、どこが自分の道として主張すべきなのかだけでもわかりたい。

この時の事を思い出すと、未だに苦しいです。


苦悩の中書いた日記②

『自分は要らない人間なんじゃないか』

と思っていた僕は、一年が経つ頃、沢山のモノをなくしてしまいました。大切に集めた本やCD。全部捨てました。今まで好きだったものが、何もかも興味がなくなってしまったのです。チラシを配りながら、たくさん泣きました。でも誰かに頼る事もできなかったので、一人ふさぎ込んでいました。本当の気持ちも全く話せず。彼女にも振られました。

そんな入社してから一年が経とうとする頃、一番辛い時期に書いたのがこの日記です。

ここには、お世話になった人も居るのに、うまくできない自分への苦悩や、自殺行為を図った事(苦手な方は飛ばしてください)、その時の気持ちなどが書いてあります。

入社してから半年間は、仕事の仕方も社会人としての常識も全くわからず、右往左往の日々。支店の空気はまさに「個人事業主の集まり」といった感じで、チームワークが全くなかった。会話すらほとんどない状態。先輩たちは個々の成績を追い求めることに専念されていて、下の者たちはほったらかし。うまく教えてもらえるように懐に入れなかった自分も悪いですが、文化的に「自分たちさえできてればいい」という店の雰囲気のまれ、経験もないのにうまくいくはずのない我流で仕事をし、ずっと闇の中をさまよっているような感覚でした。

半年経つと仕事量が多くなり、休日は月に2日休めればいいくらい、夜はほとんど日付が変わってから終わる、ということが常態化するようになりました。

精神的にきつくなり始めたのが10月。
仕事が原因で恋人と別離し、働く目的を見失いました。

「こんなに時間を費やしてるのに、何のためにやってるんだろう」
「生きてるってなんなんだろう」
「仕事して、ご飯食べて、出すものだして、それだけ。これほんとに人間?動物?」

たまにやってくる休みの日も、ずっとそんな空虚な思考を持つようになり、まるで魂が抜けたような人間になってしまいました。

そんな思いの中、当然能力的にも成績的にも向上があるわけがなく、
効率の悪い業務時間だけが只々伸びていくことに。

支店に少し変化が出始めたのが11月。支店長(所長)が変わり、いろいろな見直しが起こりました。

「もっと情報を共有しろ」
「基本を下に教えなければ店としての向上はない」
「やってもやらなくても同じだという精神からなおせ」

店としての問題を鋭く見抜き、一つずつ改革を行っていった所長。
しかしその言葉が本当に伝わるまでにはかなりの時間を要しました。

何しろその頃店の雰囲気的にも所員の人間的にも、文化的に腐りかけていたからです。

僕自分も人間的に腐った思考と習慣がこびりついてなかなか抜けず、苦労しました。
でも従業員としてこなさなければいけない業務量は当然あるわけで、心身ともに疲れ果てた状態になりました。

効率の悪い業務時間は朝の3時4時まで伸びるのが常態化した12月。
それでも何とか生き延びたという感覚で、年明けを迎え。

新年早々、僕は壊れました。

なんだか生きてるのにも空しさを感じ、
手首や腕を剃刀で切りまくり、
睡眠薬を2箱飲んで、「死んだほうがましだ」と思うくらいの頭痛に悩まされ、
胃が壊れるくらい過食をして、全部吐き戻すことを繰り返してました。

それでもそんな簡単に逝けるわけもなく、病院に行くことに。
はっきりとした診断名は言われませんでしたが、落ち着く薬をもらって経過を見ることに。

その頃は社内でも僕の様子のおかしさが目立っていたみたいで、かなり心配されました。
2月に入るころ、ついに先輩から「何があったのか、何をしてるのか」問い詰められ、
全部白状しました。決して人には言えないと思っていたことを話し、 素直に認めてもらい、そこから大分楽になりました。

楽にはなったものの、まだ根本的に解決したわけではありません。

「ここを抜け出す以外、道はない」

そう思って転職活動を始めた3月。

挫けては起き上がることを繰り返しながら、ようやく3月後半には入れそうな会社が見つかりました。しかし、結局そこにはいかないことに。やはり、今の会社で頑張ろう。そういう気持ちになりました。

きっかけは、所長の言葉。所長は決して諦めることなく、半年かけて、赤字常連店舗だった店を見事黒字に変えて見せました。 この方がいなければ、本当に今の店はなかったと確信してます。
凄まじいほどの凡事徹底。 人間としても、仕事人としても僕にとっては雲の上の方です。

「生まれ持ったものが違うんだろうなぁ」

僕はそんな言い訳をずっと抱え、所長の激励にも口だけの「頑張ります」で返していました。
店を改革するという自らの役割を一時たりともブレることなく、正しいことを言い続けた所長。

正しすぎるがゆえに、それまでの腐った習慣が離れなかった僕には、ずっとずっとボーダーを感じ得ずにはいられませんでした。

3月が終わり、ついに所長が異動することに。

昨日はその送別会でした。

目標達成した後の宴会ですから、いつもと違って和気藹々とした雰囲気の席。
所長もその日は、「所長」ではなく、皆にとって「父親」のような話しぶりに。
そんな会の中、ふと所長が僕を見つめて一言、こう言いました。
「フジノが病院行ってるって聞いたとき、すごく悲しかったなぁ…」
え、なんで知ってるんだろう?…先輩が言ってたのか!

常に正しいことをおっしゃっていた所長。
正しすぎてボーダーを感じていた自分。

でも、あんなに叱っていた最中、同時にすごく心配してくれていた。
それに気づいたとき、今まで嘘の「頑張ります」を言っていた自分が、
すごく悔しく、悲しくなりました。

そして店をでる別れ際、所長はそっと僕の肩に手を回し、引き寄せてこう言ってくれました。
「頑張れよ、お前」
こんなに思っていてくれた人の気持ちを、いなくなってから気づくなんて…
この人がいる会社を、今抜け出すのは、人間としてどうなんだ。
そう思ったとき、まだこの会社で頑張ろうと、決めました。

この1年間、周りに比べて確実に出遅れました。
精神的にも、能力的にも全然足踏み常態です。
それでも、今年度からはもう一度気持ちを切り替えてスタートしたい。
いろいろあったけど、まだ生きていける。
最後にそう思った一年間でした。


結果、辞めて正解でした

この後なんだかんだ言ってやめることになりました。所長も異動されましたので。

考え方は紆余曲折しましたが、結局のところ、自分が『この環境はおかしい』と思わなかった時点で!辞めなかったのが一番悪かったのかな、と思います。

振り返っても、この時の僕はもう既に精神的におかしな状態でしたから、ここからまともな判断をするなんて不可能です。

要は、そんな状態になる前に、抜け出さないと行けないのです。


今は、福岡に居ます

その後僕は職や住む場所を転々として、今は福岡で再び会社員をしながら、結婚や出産というイベントを経験しました。

どんなふうに福岡に移って来たかなどは、その他のエントリを見ていただけたらと思います。
これから僕は、ブログや一次産業、田舎でプチ起業をしたりして、自分の思うように生きていきたいと思います。今は福岡市在住ですが、糸島へ移り住むのもいいかな?と思ってます。

(仕事や空き家の情報いただけると嬉しいです笑)

会社員である以上、会社の都合に左右されるのは避けられません。僕は、人より痛い経験をしている以上。妥協するのではなく、自分自身で幸せな道を探したいと思います。その姿を見せるのが、父親としても最上だと思います。

『お父さんお前が生まれたから好きな生き方やめたよ』なんて言ったら、それこそ子供のためになりませんから!

長い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。

 

 

すごく衝撃的な記事でした。

住友不動産なんてもうメチャメチャ大手ですよね!?そんな会社で働いてる人は、きっと良い給料もらってる頭のいい勝ち組の人たちで、効率よく仕事をしているイメージを持ってました。

 

でも実際は泥臭い営業活動。しかも翌朝まで仕事なんて…ホントよく続けましたね。。住友不動産を退職されたあとに結婚や退職を経験されたということで、あの時本当に死ななくて良かったですね。

 

自分の仕事も辛いと思ってましたが、フジノショウさんと比べると足元にも及びません。。

 

 

 

自分の信念を曲げてまで今の仕事を続ける必要なんて無い!

どんなに大手企業の社員や公務員になり高い給料をもらっていたとしても、周りの環境や雰囲気に違和感を感じてしまったら転職を考えてみるのもいいと全然ありだと思います。

 

昔は「石の上にも三年」って言って「最低でもやり始めたことは3年続けなさい」なんて言われたもんですけど、フジノショウさんがもし何年も仕事続けてたら死んでましたよ!!

 

今の時代は、昔みたいに終身雇用を前提に先輩社員がのんびり仕事を教えてくれる時代じゃないんです。先輩たちも必死で、そんな余裕ないんです。だからそんな会社はたいがい雰囲気が悪いです。

 

 

僕も転職や起業を考えてみようと思う。

今の時代、やろうと思えば自分でネットビジネスとか何でもできます。毎日、アホみたいに会社に行って、アホみたいに上司に向かって愛想笑いを繰り返している自分が大嫌いです。

 

仕事を続けることも大事ですけど、自分の中に強い思いがあるなら、次のステップに進むべきだとフジノショウさんの記事を読んで感じました。

 

 

 

 

 

 

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